古橋秀之『ブラックロッド』

ブラックロッド (電撃文庫)

ブラックロッド (電撃文庫)

 魔導の技術により発展してきた異形の積層都市「ケイオス・ヘキサ」。この街に一人の隻眼の男が潜む。名はゼン・ランドー。いくつもの都市を奈落堕ちさせてきた危険人物は、この街である試みを企てる。
 その男を追う一人の人物がいる。魔術による犯罪者を追う公安局・魔導特捜官。黒い外套に身を包み、巨大なロッド――呪力増幅杖を手にするその者達は、ブラックロッドと呼ばれる。ブラックロッドに名前はない。ブラックロッドは感情を持たない。だが、ランドーを追うブラックロッドは、どこか他の者達とは違う。その追跡は単なる任務なのか。それとも妄執によるものなのか。彼は降魔局の妖術技官・ヴァージニア9と共に、ランドーの行方を追う。
 そして彼らとは全く接点のないはずの男、ビリー・龍。ケイオス・ヘキサの最下層で探偵業を営む彼は、精密機器の大手企業であるマグナス・クロックワークス社から、人探しを依頼されるが――。


 第2回電撃ゲーム小説大賞<大賞>受賞作。ウィキペディア等では「その後の電撃文庫の流れを決めた作品」と言われることもある同作品である。その練りこまれた設定や造語表現、わずか二百ページ強のページ数に詰め込まれた濃密な展開は古橋秀之という作家の力量をわからせるのに充分ではあるのだけれども、いかんせんその後出てくる多くのサイバーパンク小説のアーキタイプといった感じが強く漂っているのもまた事実であり、例えば読者を楽しませるような仕掛けといったものが不十分な感じはする。

 同作は1995年に電撃ゲーム小説大賞(現在の電撃小説大賞)を受賞しているわけだが、この一年後に、同じく日本のサイバーパンクを牽引している冲方丁が、やはりライトノベルの舞台でデビューしている(冲方は1996年に『黒い季節』で第1回角川スニーカー大賞<金賞>を受賞している)。『黒い季節』のジャンルはサイバーパンクではなく、むしろ伝奇的な要素を含んだものであるが、『ブラックロッド』同様、その設定は非常に練りこまれていて、重厚なライトノベルという矛盾した、しかし歓迎すべき一面の先駆者となったといえるだろう。

 電撃文庫スニーカー文庫、この二つのレーベルが持つ新人賞にとって、ごく早い段階で古橋、冲方という作家を生み出すことができた効果はおそらく非常に大きいはずだ。作品はその作品が属するシーンが成熟しなければ発展しないと考えている私は、『ブラックロッド』が一般のファンタジーやSFではなく、ライトノベルの新人賞に投稿された影響は大きいと思っている。

 憶測だが、既に確固としたジャンルが確立されていたSFやファンタジーよりも、それまで特にジャンルを絞らずに、「面白ければ何でもオッケー」であったライトノベルの方が『ブラックロッド』は受け入れられやすかったのではないか。その結果、ジャンルの幅広さはあっても作品の質の高さにムラがあったライトノベルを、底上げすることに繋がったのではないか(今でも質のムラは相変わらずだが、しかし「面白い」と言える作品が多くなったとは思う)。結果、作品の質が高くてジャンルに規定のない「ライトノベル」の新たなフィールドが出来上がり、そこから一般紙に転向しても充分に活躍できるだけの作家がどんどん生まれて行ったのではないか、と思うのである。

 無論これは活字メディアだけが引き起こしたことではあるまい。アニメやゲームで見てみたいと思わせるようなこの作品は、元をたどればそれまで成長してきたエンターテイメント市場の影響もあるだろう(古橋は元カプコン社員、冲方は元セガ)。活字以外のメディアで成熟してきた様々なものが、再び活字メディアに戻り、今までにない面白みのある小説が誕生した、その一つが『ブラックロッド』であり、また『黒い季節』である気がするのである。