来楽零『哀しみキメラⅢ』『哀しみキメラⅣ』

哀しみキメラ〈3〉 (電撃文庫)

哀しみキメラ〈3〉 (電撃文庫)

哀しみキメラ〈4〉 (電撃文庫)

哀しみキメラ〈4〉 (電撃文庫)

 

 <Ⅲ>
 蠱毒となった霊的<モノ>を喰らった水藤の身体はようやく回復した。だが身体とは反比例に、彼の精神は刹那的な側面を覗かせるようになる。一方、純もまたキメラである自分の身体がひどく不安定になっていることに気がつく。時折低下する身体能力、それはキメラとしての能力を失い始めているこに他ならなかった。

 モノ祓い師から身を隠すようにして選んだ次の隠れ家は、一度離れたはずの東京、その近郊だった。生活費を稼ぐために彼らはアルバイトを始めるが、水藤のバイト先である学習塾では、奇妙な噂が広まっていた。

 願いがあるならば、階段を上れ――

 それは一枚の紙切れに記された人為的なメッセージだったが、噂は小学生の中でどんどん肥大していた。そしてついに、噂を突き止めようとした子供達の中に行方不明者が現れる。消息を絶った生徒のクラスメイトである麻生穂高と紺野勇輝は捜索を始めるが、その裏には複雑な想いが隠されていた。噂の陰に<モノ>の存在を感じ取った純たちは、彼らに協力する形で噂の真相を突き止めようとするが……。

 <Ⅳ>
 綾佳と二人だけになってしまった純。モノと人間の狭間をゆらぐ身体に、純はキメラとしての成長が行き詰りかけているのを感じ始めていた。一方で綾佳もまた、モノを喰うことができなくなってしまった自分の体のことを、純に話せないままでいた。互いに不安を抱いたまま、キメラとしての生は過ぎてゆく。

 モノを糧として生きてきた二人にとって、飢えは限界に来ていた。そんなとき、京都にあるモノを封じるための結界が再び破れ始めていることを知る。かつては自分達の手で破ったその結界を、再び破ろうとするのは誰か。淳たちは糧を得る為に、そして人間らしくあるために、事件の解決を試みる。たとえ偽善者と呼ばれようとも。だが京都では、思わぬ再会が純と綾佳を待ち構えていた。

 
 以前にも述べたが、この作品はバトルものではない。キメラとなってしまった人間が、それでも人間でありたいという葛藤を描いている作品である。特にⅢとⅣでは人間らしくありたいと願う純と、人間であることを諦めてしまった者との衝突が綺麗なコントラストを生み出していて、悪くない。特に、異質なものへと変化してしまった「元」人間の苦悩という既に古典的なテーマを、きちんと最後まで妥協なく描くことが出来たことには賞賛されるべきだろう。

 欲を言えばもう少しインパクトが欲しかったところか。特に人間であった頃の過去がわかるのは純と水藤だけであり、その過去もⅠではメインで描かれながらも、以降はさらっと流されているので、少し物足りない。彼らキメラを利用しようとする仙谷もちょっと小物過ぎて、障害として機能していない感じがする。

 結末はとてもよかった。よかったというか、もうこの結末しかありえないと言える終わり方だった。少し考えれば誰でも思いつきそうで、しかし誰もが納得する結末。若干ネタバレになるかもしれないが、Ⅳの表紙に十文字が写っていた理由がとても腑に落ちるのを感じることができた。もちろん読者の多くはこの結末をハッピーエンドとは呼ばないだろうけれども。

 また安易に純と綾佳をくっつけなかったのも注目すべきだ。水藤と、そして十文字を含め、彼らは不幸にもキメラとなってしまった「被害者」だが、そこには傷を舐めあうような意識も、誤解を恐れずに書くならば被害者特有の特権的な意識もない。彼らにあるのは自分達が新たな生き物として、人間とは一線を画さなければならないという意識と、しかしそれでも人間らしくありたいという葛藤である。その思いが一致しているからこそ彼らは共に行動しているのである。

 そしていきなり真逆のことを述べるのだが、そうした思いを抱えながらも、彼らは互いを少なからず想っているのである。こんな矛盾した思いを抱える彼らを、人間らしいと言わずしてなんというのか――来楽零はこの点に果敢に挑んたと言えるだろう。そしてあと少しのインパクトがあれば……と繰り返すことはもうしないが、その点については次回作に期待したいと思う。何にせよ、Ⅰを読んだときに何故か「この作家は面白い」と感じてしまった期待を、まだ裏切ってもらうわけにはいかない。