筒井康隆『パプリカ』

パプリカ (新潮文庫)

パプリカ (新潮文庫)

 人の見る夢に直接介入することで、精神病の治療を行うサイコセラピーの第一人者、千葉敦子は同僚で治療機器の開発を行う時田浩作と共に、ノーベル賞の最有力候補といわれていた。だが研究者である千葉はもう一つの顔を隠し持っている。精神病に罹っていることを秘匿したい要人専門のセラピスト。彼女は妖しい魅力を秘めた少女の容姿となり、患者のトラウマを探し当ててゆく――人は彼女を「パプリカ」と呼んだ。

 正体を隠しながらパプリカとして治療を続ける千葉。そんなある時、時田の最新作である「DCミニ」が何者かに盗まれてしまう。頭に付けるだけでだれでも夢の世界へと介入できるようになるこの機器は、使い方次第で相手の精神を容易に崩壊させることもできる、極めて危険な代物だった。一人、また一人と千葉の周りにいる人々が巻き込まれてゆく。彼女はなんとかしてDCミニを手に入れ、犯人と対決しようと試みる。DCミニが持つ、本当の力を知らぬままに。

 
 「夢」はきわめて扱いづらいテーマの一つであると思うのだが、さすがは筒井康隆。それを見事なまでに昇華させている。最初はただ千葉が勤める研究所での出来事と、患者個人の夢に焦点が当てられているが、やがて個人の夢はDCミニを装着した他人の夢に浸食されてゆき、それは現実の個人に影響を及ぼし始める。そしてDCミニの力はますます強力なものとなり、やがて強く念じるだけで時間と空間は易々と飛び越えられてしまい、それはついに現実と夢の境界線も無へといざなう。夢の中でしか存在しなかったはずの生物が現界し、それに対抗するために人間もまた、夢の中でしかできなかったことを現実の世界で行うようになる。エントロピーの増大から暴走へ――もうこれ以上は無理だというところで、物語はようやく収束する。

 魑魅魍魎が跋扈し、それに立ち向かう超人のありえない行動に読者は散々振り回されるのだが、最後の最後で、はたと気付かされる。その不可思議な出来事は果たして現実だったのか、それとも夢だったのか。そう、夢と現実の境界線が消失したときから、読者もまたこの作品が夢なのか現実なのかが区別できなくなってしまっているのである。

 いや、本当は読者は既に気がついていたのだ。だがそのことを筒井が最後にきちんと指摘して終わることで、この作品は完結したものとなる。「夢が現実を浸食する」という命題が存在するとして、果たして侵食された現実は現実のままなのか、それとも侵食された時点で夢に転換されるのだろうか。そんな問いをこの小説から投げかけられているような気がするが、ひとつだけ確実に言えるのは、夢とは途方もなく混沌としている、ということだ。それが筒井康隆のものであるならば、なおさらである。