米澤穂信『犬はどこだ』

犬はどこだ (創元推理文庫)

犬はどこだ (創元推理文庫)

 米澤穂信の本を読むのはこれで3冊目。前に読んだのは『氷菓』と『さよなら妖精』。米澤氏といえばいわゆる「日常の謎」という、殺人ではなく日常の中にある何気ない不思議な出来事を扱う作家として有名であるが、本作はその手法とは一線を画した、オーソドックスな探偵モノのミステリであるといえるだろう。
 
 けれどもただの探偵小説であるならば、今更新たな一冊を投じる必要もないわけで――米澤氏が書く本作では、二つの一人称を通じて徐々に紐解かれてゆく謎と、視点のズレによるミスリードが巧みに編み上げられている。限られた状況が人の目を欺くという点は非常に面白く、いくつも散りばめられたヒントが終盤で綺麗に纏められてゆく過程は読んでいて気持ちがよかった。それだけに、ラストのオチが読み手の気分を何か落ち着かなくさせる。

 「日常の謎」でもよく見受けられた、状況証拠を細かく描写する米澤氏の手法が、結論までの論理をうまく構築するのに一役買っており、非常に読みやすいと思えた。以前の米澤氏の特徴は、わりと短いプロットでの即時的なカラクリを巧く作り上げることに優れているという点であると私は思っていたが、本作を読み終えて、まとまった長さでのきっちりとしたミステリを書くことにも長けていると認識を改めた次第。

 しかし何よりも今回、私が米澤穂信に対してはっきりと再認識せざるをえなかったのは文体である。何がどう変わったかはうまく言い表せないのだが、以前よりも格段に読みやすくなっている。正直なところ、私はそれまでの米澤穂信に対する評価はそれほど高くはなかった。日常の謎というジャンルがあまり面白いと思えず、また米澤氏の文章(文体)が読みにくいと感じていたせいもあり、今作でも同様の感想を抱くようであれば、しばらくは買うのを控えようとさえ思っていた。

 けれども蓋を開けてみれば、それは杞憂に過ぎなかった。むしろ私にとって今作は、今後とも米澤穂信という作家を強く支持する契機となった一冊であったと言える。同著者の作品である『インシテミル』も、今ならすんなりと受け入れられるだろう。