藤崎竜『藤崎竜作品集1』

藤崎竜作品集 1 サイコプラス (集英社文庫(コミック版))

藤崎竜作品集 1 サイコプラス (集英社文庫(コミック版))

『PSYCHO+』
 綿貫緑丸は生まれつき髪と瞳が緑色である。まるでミュータントを見るかのような周囲の目に晒され続けてきた彼は、夜更けの公園を散歩している途中に、不思議な女性に出会った。彼女の名は水の森雪乃。人工物が大嫌いな彼女は、緑丸の自然な緑色の髪を綺麗だと褒めてくれる。以来彼女のことが気になり始めた緑丸は、やがて彼女が自分の通う学校の生徒であることを知る。容姿端麗・運動神経抜群の有名人である水の森雪乃の通り名は「電脳少女」。あらゆるテレビゲームが得意な彼女は、自分に言い寄る男に対して、ゲームによる試験を課していた。
 ある日のこと、彼はゲームショップでワゴンセールのゲームの群れの中に、気になる一本を見つける。タイトルは『PSYCHO+』。ゲームを起動させるとそこには奇妙な文章が映し出されていた。
 「超能力レベル1 木を動かしてみよう!」
 ゲーム勝負で彼氏を決めようとする水の森の行為を止めるため、緑丸はこのゲームで勝負を挑もうとするが……。


『DIGITALIAN』
 万物の根源が数である世界を旅する冒険者一行――エルフの召喚魔道士アレンティー、あらゆる物を数値化して見ることが出来る僧侶ハスキー、二刀流の剣士ディクスレイ。自分の体力の無さが二人の足を引っ張っているのではないかとアレンティーが悩む中、一行は立ち寄った村の村長からある事件を解決してほしいと頼まれる。依頼内容はデジタル・ウイルス――万物の根源である数字を狂わす能力を有する魔物の退治だった。


 私に多大な影響を与えた作家の一人に、『封神演義』で有名な藤崎竜がいる(と言うわりには、『Wāqwāq』は途中までしか読んでいないし、傑作と名高い『サクラテツ対話篇』は未読のままであるが)。その氏の作品の中でも『PSTCHO+』は非常に愛着のある作品だ。連載当時、小学生だった私はこの作品に一瞬でノックアウトされてしまった。今まで読んできたどの作品とも異なる、藤崎竜の独特な世界観は常にその時代の一歩も二歩も先を進んでおり、時に読者を理解の最果てへと突き放しつつも、その魅力はいつも読者の心に何らかの充足感をもたらしてくれる。

 独特の線画にマッチする水彩画のようなタッチの塗り、超能力養成ゲームを中心とした奇天烈な展開、生まれつき髪と瞳が緑色であるということのインパクト、そして何よりも水の森雪乃の容姿とミステリアスな魅力は、今読んで見ても色あせることはない。黒髪が好きな私の嗜好の原点の一つは、間違いなく水の森雪乃であることを再認識させられる。

 サブキャラや小ネタもまた独特である。骨をこよなく愛し、格闘ゲームの全国チャンピオンである同級生、「がはは」が口癖の年齢不詳なセンパイ、奇抜なデザインのインテリアと、近未来的な世界観を意識した衣装デザイン、恋愛シミュレーションゲームの中毒性を皮肉るかのようなエピソードなど――藤崎竜の世界は「変」であるとともに、常に先の世界を見通しているように思える。この氏の魅力がセーブされた『封神演義』が大ヒットしたのはまさに皮肉であるが、藤崎竜本来の世界観にコアなファンがいるのも事実である。

 PSYCHO+というゲームを通じて水の森と知り合い、超能力のレベルを上げてゆく緑丸が、やがて唐突に大きな事件に巻き込まれてオチをむかえるという話の流れは、同じ時期に『ドラゴンボール』や『幽遊白書』、『SLAM DUNK』が大ヒットを記録していた当時のジャンプの読者層を考慮すると、とても受け入れられそうにはない。売れない作品に対してとかく厳しいジャンプの方針がこの作品を唐突なオチへと向かわせたのであろうことが、果たして良いのか悪いのかは判断に困るところである。

 結果的に『PSYCHO+』はコミック2冊分の短編もしくは中編としてのサイズに収まり、そのことに当時何の異論も持たなかった私がいたのは事実である。今こうして読み返してみても、その唐突なオチに面食らってしまう。だが、もしこの作品が『封神演義』と同じくらい長く続いていたらと思うと、読んでみたいという気持ちがある反面、私の記憶にこれほど長くとどめる作品にはならなかっただろうとも思えるのである。