森見登見彦『四畳半神話大系』

四畳半神話大系 (角川文庫)

四畳半神話大系 (角川文庫)

 下宿「下鴨幽水荘」にある四畳半の部屋。そこに住む大学3回生の「私」は、鬱屈したやり場のない思いを抱えていた。幻の至宝と呼ばれた「薔薇色のキャンパスライフ」を掴むはずだったのに、鏡に映る私は彼女もなく、単位も危うく、訪ねてくるのは小津という悪友ばかり。
 どうしてこんなことになってしまったのか。原因はわかっている。すべては1回生のあの時、選択を誤ってしまったからなのだ。もしあの時、違う選択をしていれば……四畳半を中心に、私の世界は様々な顔をのぞかせる。


 主人公である私が1回生のときに所属したサークルもしくは諸活動の違いによって、微妙に変化する「私」の日常を章立てで描いた作品。計四つのサークル・諸活動に対して四つの日常があり、各日常の差異を見ることが楽しいのはもちろんのこと、最後まで読んだときに気がつく仕掛け(というほどのものでもないが)もまた面白い。

 読んでいて真っ先に思ったのは、ノベルゲームを書籍で読んでいる感じ、である。つまり――

 1.映画サークル「みそぎ」にする
 2.謎の「弟子募集」にしてみる
 3.ソフトボールサークル「ほんわか」にする
 4.秘密機関<福猫飯店>にする

 という選択肢があり、どれを選ぶかによって以降の展開が変化する、という感じだ。作者は多分ノベルゲームをプレイしたことがあるのだろうし、そして実際にこういったシステムを小説で行うことに躊躇せず、しかも高い完成度で仕上げてしまう森見の筆力は賞賛せざるを得ない。

 そして描かれる並行世界では、ほんの少しの不思議なことが、話の節々に添えられてゆく。コインランドリーのドラムに入れていた洗濯物が消え、そのかわりに可愛らしい熊のぬいぐるみがおいてあったり、時にはその逆のことが起きていたり、そして延々と続く謎の世界があったりと、現実の世界では見られない不思議なことが作中内で起きる。そしてその不思議な出来事が、4つの並行世界を結ぶ鍵になっているのである。

 それにしても森見の作品に出てくるキャラクターはどれも曲者ぞろいである。主人公は自分の潜在しすぎた潜在性を信じて疑わない、きわめて後ろ向きで「前向き」な性格であり、悪友の小津は人の不幸を見ることに喜びを見出すどうしようもない性格である。黒髪の女性・明石さんはクールかつ知的な振る舞いをみせるにも関わらず、お気に入りの熊のぬいぐるみを「もちぐま」と名づけ、五体並べたそのぬいぐるみを「ふわふわ戦隊モチグマン」と命名する可愛らしい? 一面を持っている。小津から師匠と呼ばれる謎の樋口さん、酔っ払うと人の顔を舐めてくる歯科衛生士の羽貫さん、ハンサムな容姿でラブドールを大事にする城ヶ崎先輩と、誰一人として普通の人がいない。ここまでくると過剰すぎるといえなくもないが、むしろ小説はやはりキャラクターの作りこみが大事だということを認識させてくれるという感想の方が強い。

 デビュー作『太陽の塔』を含め、京都を舞台とした、まさに京大生な人物を中心に描く世界が森見作品の特徴だが、そろそろ違う傾向のものを読んでみたいという気もする。もちろん「後ろ向きかつ前向きな性格で行動する」主人公の性格はそのまま森見作品の魅力でもあるので、これを残してもらうのは問題ないだろうけれども、それだけに作品をマンネリ化させずに森見らしさを打ち出してゆくのは難しいだろう。難しいだけに、それを乗り越えたときの森見登見彦はさらに大きな作家になっているに違いない、と私は思うのである。とりあえず、未読作品を紐解くのを楽しみにするとしよう。