森博嗣『スカイ・クロラ』

スカイ・クロラ (中公文庫)

スカイ・クロラ (中公文庫)

 カンナミは戦闘機のパイロットだった。戦闘機のパイロットの仕事は戦闘機を撃ち落すこと。パイロットを殺すこと。相手が誰かなんて知る必要もない。何のための戦争なのかなんて、知る必要もない。仕事だから飛び、相手を打ち落とす。そうしていつしかカンナミもまた、誰かの手によって打ち落とされるのだろう。死に場所を求めて、などという陳腐な台詞からは最も遠い場所で、彼は戦場で踊り続ける。

 だが、上司である草薙水素は彼に問いかける。「死にたいと思ったことはない?」と。ソレもまた陳腐な台詞の一つに過ぎない。だが、草薙にとって、そしてカンナミにとっても、その言葉は字面をはるかに超えた意味を伴う。過去の記憶が曖昧なまま、未来を描くことも出来ず、ただキルドレ達は自分の存在理由に苦しみ、そうして一つの望みを得るのだ。殺してくれ、と。

 
 時々、話の説明をするのが難しい本に出会うことがある。それは内容が難しいという意味ではなく、どこかつかみどころがなくて、話を思い浮かべると夢でもみているかのようなぼんやりとしたイメージしか浮かんでこない、という意味である。私にとってそういう本は、話の内容はともかくとして、なぜか読後気に入ってしまうことが多い。『スカイ・クロラ』もまたそんな本の一つである。

 この話には、説明が大きく省かれている。カンナミが一体だれと戦っているのかも、過去に何をしていたのかも、そして一体どこで戦っているのかも、作中で明確に語られることはない。それは明らかに森博詞の意図によるものであるが、説明を省くという手法が読者の想像力を換気させるのかといえば、この作品においてその効果はむしろ逆であり、話が読めば読むほどその世界は色を失ってゆく。

 そして終盤になってようやく、幾つかの謎に光が当てられる。キルドレと呼ばれる子供たちの正体、舞台となっている世界の背景。だがそれがいくら鮮明になろうとも、読者がスッキリした気持ちになることはない。舞台設定がいくら明確になろうとも、カンナミと草薙の奇妙な関係は解消されないからだ。

 二人は互いに愛し合うわけでもなく、憎しみ合うわけでもない。その関係には愛情や友情といった理由はなく――理由というものをつけることにある種の嫌悪すら抱くのだが――しかしだからこそ、カンナミは一人称の文体の上で草薙との関係を説明しようとすればするほど、何か理由のようなものを語らなければならなくなっている。ただ彼女は僕と同じであり、理由もなく、愛情もなく、孤独もなく、何のためでもなく、何も望まずに……と語ることすら、ある種の理由として機能してしまっていることは、カンナミ自身が一番よく気付いているのだろう。

 いや、そんな転倒をことさら語るのは野暮というものか。森博嗣意味なしジョークに彩られたカンナミと草薙の関係はとても魅力的である。クリタジンロウがなぜ草薙に殺されたのかが気になるカンナミも、事あるごとにカンナミをひっぱってゆく草薙も、とてもくすぐったい。それは互いに愛情を有していないからこそ(表面的にはそうでも、しかし当然その行間に愛情を読み取ることが出来るのだが)、くすぐったいのだから。

 感想にもならない感想しか有していないのに、それでもこの作品が好きだといえるのは、この作品をまだきちんと消化できていないからなのか、それとも元から私がこうした性質の作品を好むからなのか。でもまあそんなことも西尾鉄也の手による草薙のイメージを見ていると、どうでもよくなってくるのである。