来楽零『哀しみキメラⅡ』

哀しみキメラ〈2〉 (電撃文庫 1285)

哀しみキメラ〈2〉 (電撃文庫 1285)

 <Ⅰ>
 某予備校に通う四人の青年――矢代純、早瀬綾佳、水藤深矢、十文字誠。同じ予備校に通いながらも全く接触のなかった彼らが、ある日同じエレベーターに乗り合わせたのは全くの偶然だった。そして、そこで<モノ>と呼ばれる物の怪と遭遇することもまた、同じく偶然だった。力を消耗していた<モノ>は彼らにとりつき――彼らは、人とモノとの融合であるキメラとなってしまう。

 キメラとなった彼らは<モノ>を主食とする。<モノ>とは幽霊と言われる「霊的<モノ>」と、鬼や妖怪と呼ばれる「物的<モノ>」に大別されるが、その捕食さえままならぬならば、人間を喰さなければならない。酷い空腹を感じる中で、彼らは一人の男、七倉和巳と出会う。七倉和巳は、彼らにとりついた<モノ>を取り逃がしてしまったモノ祓い師であった。キメラとなってしまった彼らに責任を感じる七倉は、彼らを保護することにする。それは彼らにとって、人間としての生活を捨て、七倉の元でモノ祓いの手伝い、つまり食料を与えてもらうということに他ならなかった。自身が異質なものに変化してしまったことを受け入れながらも、彼らは人間であった頃の繋がりに一線を画すことが出来ないでいた――。

 <Ⅱ>
 純たちは食料の補給を兼ねて、自ら「モノ祓い」を請け負う仕事を行っていた。ある日、メールで一通の依頼文がやってくる。姪に呪い殺されるから助けてくれ――依頼主の元へ駆けつけた純が目にしたのは、死体と成り果てた依頼主の姿と、その傍らで呆然としている少女、森山真里だった。


 第十二回電撃小説大賞<金賞>受賞作シリーズ第二弾。人と<モノ>との融合であるキメラとなってしまった純たちが、それでも人でありたいと葛藤する物語である。この作品を語るにあたって、私自身が気がかりなことが一つある。それは私が、同じく人と異種の融合を描いた傑作『寄生獣』を未読なままだということである。同種の作品との相対的な評価をつけることが出来ないということを先に述べた上で(読書量が少ない私は常に相対的な評価など出来ないのだが)、以下つらつらと感想を述べることとする。

 柳原澪のイラストに惹かれて手に取った第一巻(一巻と四巻でえらく雰囲気が変わっていたのに驚いたが、一巻の細かなタッチのほうが好みだ)。イラストに惹きつけられて、というのは十代によくあるライトノベルの購入動機である、と言ってしまうと身も蓋もないが、私も同じ動機で購入してしまった一人なのだから気にすることはあるまい。結果として良い作品にめぐり合えたのだからなおさらである。

 わりと暗いタッチで綴られてゆくのがこの作品の印象である。特に一巻では純をはじめ、人間ではなくなってしまった彼らキメラの苦悩と、人間とそうでないものとの境界が、故意に抑制された筆致で描かれている。そこでは人間ではなくなってしまった純が、それでも人間でありたとい思う姿、そして十文字が汚れ役を一手に引き受けようとする姿がきちんと描かれており、その意味では『異能』ものでは避けて通れない、登場人物の「苦悩」が巧く表現されているといえるだろう。

 だが二巻では真里を中心として物語が動いており、キメラとなった彼らにあまりスポットが当てられていない。純たちの葛藤とその結論がこの話のメインストリームであると私は思っていたのだが、今作では真里がメインであるので、純たちの思考がどうもブレているように感じる。新たな登場人物を用いてもう少し話を長くしてでも、真里と純たちの双方にバランスよくスポットが当てられていれば、前作の雰囲気をうまく引き継げていたのではないか、と思えるのである。

 しかしこの作者である来楽零は心情描写がわりと巧い。ともすれば駄作と評されても仕方がない第二巻の構成だが、純、綾佳、深矢の、キメラでありながらも人間らしくありたいという想いと、その他の部分での彼らの私的な感情が前作できちんと描かれ、なおかつ二巻でも話の節々でそのことが垣間見えるので、前作からの雰囲気は巧く引き継ぐことが出来ていると思える。だがそれはあくまでも不足なく、という意味であって、先に述べたように純たちの葛藤がこの話のメインであるならば、今作でも彼らが中心となった話でもよかったような気はする。

 と、一巻に比べるとやや肩透かしを食らった印象であるのは否めない。それだけに一巻は続編を出す必要もない位の完成度だった。いや、既に手元にある三巻、そして最終巻である第四巻をパラパラと眺めていると、そこには二巻で初登場となった人物が引き続き出ているようなので、二巻は一巻をなんとか引き伸ばすために、あらかじめ続編を予定してつくられたものとして捉えるべきか。しかしそれならそれで、展開に当たる今作を一冊に纏めるのではなく、もっと大きなスケールで描いてもよかったのではないだろうか。

 ところで、この作品は異能バトルものではない。大別するならば異能ものだが、バトルものではない。純たちにとっての敵というのはあくまで存在せず、強いて言うならばキメラという異端を敵視する人間たちである。確かに今作では仙谷という、キメラの異端を利用しようとする人間が敵対勢力として登場するが、彼とのバトルは中心とはならない。なぜならば純たちの苦悩の中心は人間らしくありたいという一点であり、いつか食料として人間を殺さなければならないという恐怖におびえている彼らは、率先して人間と戦うことなどありえないからである。かといって何か邪悪な<モノ>がいるのかといえば、そうでもない。つまり純たちとっての敵は存在せず、ただ異質なものとなってしまったが故に逃走を続けるしかないのである。

 そしてこの方針で行けば、この作品の最たる面白みは純たちが追い詰められてゆく様と、その解決に懸かっているのであるが、それは以降に描かれることを楽しみに待つことになる。少なくともソレを待ちたいくらいには、この作品の雰囲気はとても良い。